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STAFF INTERVIEW!

若きエースクリエイター、熟考の果ての新境地!伊藤寛文さんインタビュー。

PROFILE

伊藤 寛文

ディレクター/エディター

どんな仕事してる?
映像編集から企画まで幅広く活躍
ひとこと
オリーブの太陽みたいな人

INTERVIEWER

國本 琢也

フリーター、ラーメン屋、そして映像業界。意外すぎるキャリアの中に、変わらない仕事観と通底する洞察力を垣間見てたとき、これが若手クリエイター筆頭の真髄なのかと感じた時間でした。キャリア迷子必見!(株)オリーブ10周年インタビュー第3弾、伊藤寛文さんの登場です。

マネージャーって楽しいんじゃないか?と思いつきまして。

本日はよろしくお願いします!初めに、今入社何年になりますか?

2015年の8月1日入社だったはずなので、まる6年経ちました。早いですねえ。

ご出身が鶴岡市ということで。

鶴岡の田川です。湯田川温泉の奥~の方で、周りにコンビニはおろか、信号も1つしかないような所です。

信号機1つ!!少年時代は、野山を駆け回って遊ぶみたいな。

そうですね。遊びといえば山、川とか…川で魚獲って遊んだりしてましたね。雨が降ったらゲームして。あとは漫画読んだり。

外でも家でも楽しく過ごしてますね。インプットも分け隔てなく吸収して。

いえ、中学くらいまでは趣味の幅は狭かったです。高校に入って、音楽に詳しい友達から洋楽や日本のパンクロックを教えてもらったりして広がりました。あとはその頃映画をやたら見るようになって、親父と映画の感想を言い合うようになったり。面白かったですね。

映画いいですね!心に残る映画はありましたか?

正直あまり覚えてなくて(笑)あ、「ノーカントリー」っていう映画とか。なんか殺人鬼の話で…

(笑)。ともかく次第に見聞きするジャンルが広がっていったと。

そして更に色んなジャンルに詳しい友達ができたのが専門学校時代ですね。

伊藤寛文

おお~。どんな専門学校に通っていたんですか?

仙台の専門学校で、音響·照明·映像などメディア関係を網羅して学べる所でした。厳密に学科というものは無かったんですが、大枠でイベント·映像を専攻してました。

映像!元々メディア関係に興味があったということですか?

漠然とメディア系の職業に興味があって、テレビ局や制作会社、映画関係の仕事に就けたらいいなと。あと更に漠然と、ネットなどで映像がやたら身近になったなと高校の時に感じたのもあります。

その頃だとYoutubeに段々コンテンツが増えだしたり、企業PRに動画が使われだしたりした時期ですかね?

そうですそうです!あと中学の頃に面白Flashが流行ったりして、みんな何かしら動画を見て楽しんでる!と感じ始めてました。そんなこともあり入学したのですが、映像の授業はほぼ座学で、具体的な撮影·編集技術は学べなくて。結局音響の授業を中心に切り替えました。

伊藤寛文

音響と言うと、ライブハウスのPAさんのような?ミキサーの大きい卓を使う感じの。

正にそれです!全体のバランスを取る感じが、他のジャンルに比べて自分に1番しっくり来ました。仙台に定禅寺ジャズフェスという街を巻き込んだ大きいジャズのイベントがあるんですが、課外活動でそこの音響を担当したり。

大きい舞台ですね。続けていくうちに音響の楽しさに目覚めていったんですか?

いや、途中から大きい音が苦手だなということに気づいて音響も萎えてしまって。

全否定じゃないですか(笑)。ではまた何か別の専攻に切り替えたんですか?

ちょうどその頃、夏休みで実家に帰るタイミングがありまして。1ヶ月くらいすることないので地元のラーメン屋さんでバイトをしたんです。鶴岡の「鷹乃巣」っていうところで。長期休みの度にバイトしたんですが、そこで接客って楽しいぞ、ということに気づいて。

おお!将来に向けて新たな価値観に気付けたんですね。

それで専門学校で学んだエンターテイメント系の知識と接客の要素、人と接するものを組み合わせて考えた時に、マネージャーって楽しいんじゃないか?と思いつきまして。就活の時期に東京の芸能事務所全てに履歴書送りました。

す、全て!?

本当に100通くらい書きましたよ。簡易書留で送るので結構お金かかって(笑)。でも就活をした2010年当時は就職氷河期と言われていて、結局面接までこぎつけたのも3社くらいでした。そして最終的には全て落ちてしまって。

伊藤寛文

芸能事務所は倍率も相当高いみたいですしね。専門卒以外にも大卒の人とも椅子を争うわけで。他の業種は受けなかったんですか?

1社だけ、学校から勧められた東京の番組制作会社も受けました。そこは採用までいったんですよ。でもその時点で志望していた芸能事務所の面接もいいところまで進んでいて…結局採用辞退させていただきました。

おお…!なんだか凄い話。100社以上エントリーした苦労があれば採用された時点でゴールと思いそうなものですが、そこは断ったんですね。

正直学校から言われて履歴書送った部分が強くて、このまま働いても楽しくはないだろうなという気がしまして。結局その就活ではどこにも就職せず、卒業後もアパートを借りていたのでバイトしながらこのままのんびり仕事を探そうかな、と思ってしばらく過ごしました。

「フリーターってマジか!(笑)」って。

伊藤寛文

軸はブレないんですね。そこまで深刻に考えすぎず、まあ腰を据えて、と。

アパート契約にあたって親父が保証人の書類を書きに来てくれたんですが、僕が自分の職業欄に「フリーター」って書いたのを見た親父が爆笑してましたね。「フリーターってマジか!(笑)」って。

ほっこりする話(笑)。そしてしばらく仙台でバイト生活をされたわけですか。

でも生活は結構カツカツで、あまりお金を使えないのでTSUTAYA行って、5本で1,000円のDVDを毎週レンタルして映画を見まくってましたね。そういえば映画で泣いたことないなあと思って、泣ける映画を調べて片っ端から見たり。泣けなかったですけど(笑)。

おお…。若干、病んでたところはあるかもしれないですね(笑)。印象に残った映画はありましたか?

う~ん……。「LEON」見ましたね。面白かったです。

(薄…!)なるほど。ともかくそんな生活で。本格的に就職するのはまだ先の話ですか?

そうこうしていたら、以前バイトしていた「鷹乃巣」から電話がかかって来たんですよ。「フラフラしてるんだったら帰ってきなよ。お店手伝って」って。

ここで転機が!地元に帰って、お店に正社員としての勤務が始まったんですね。そちらで何年くらい勤めていたんですか?

バイトしていた専門学校時代から入れると、7年くらいですね。25歳までお世話になりました。

伊藤寛文

お店での担当というか、仕事内容はどんなものだったんでしょうか?

仕事内容は仕込みから始まって…全部ですね(笑)。接客·調理·皿洗い等々一通り教えて頂いて、1人でもお店を維持できるところまではいきました。だから20代前半は本当に「鷹乃巣」に育てて頂いた感覚があるんです。面倒見が凄くよくて。

充実した時期だったんですね。そこからオリーブに転職された経緯についても教えてください。

それも「鷹乃巣」経由だったんです。自分の今後について店長と話す機会があって、「うちとしては次の店舗を任せたいんだけど、実際のところ本当にやりたいこととかある?」と聞いていただいて。実はその前からお金が貯まったらまた仙台に行こうと思っていて、お店にも話してました。100万貯まったら仙台行きます、と。仙台で具体的に何をするかは決めてなかったんですが。

新店舗の店長候補にまでのぼりつめていたのに!実際、目標金額まで貯めたんですか?

その頃70万くらい貯まってました(ドヤ顔)。そんなタイミングで「鷹乃巣」の店長と橋本さん(代表取締役)が知り合って、オリーブの存在を教えてもらったんです。「わざわざ仙台に行かなくても酒田にこんな会社がある。どう?」って。映像やメディア系の仕事をしたい、という話もしていたのもあって教えてくれたんだと思います。

本当に面倒見がいい方。それからオリーブさんに転職活動をして入社されたということですか?

一度オリーブで面談の機会を作ってもらって、専門時代の卒業制作を見てもらったり、色々話をしまして。その後結婚式の撮影やイベントなど、現場のお手伝いを何回かしたりました。その少し後、オリーブがFacebookで社員募集の求人を出したんです。それを見て「面接行ってもいいですか?」とメッセージしました。そしたら橋本さんから「採用」とだけ返信が来て。

1番初めの仕事は引っ越し作業です

伊藤寛文

(爆笑)!面接希望から即採用と!!もちろん事前に人となりを知っていた上で、お手伝いでの働き方を見られたりした状態で決まったということなんでしょうね。入社前、オリーブにはどんな印象を持ってましたか?

採用決定後も一応面接はされましたけどね。入社前のオリーブの印象は…とにかく佐規子さん(取締役)がグイグイ話しかけてくるなあと(笑)。

絵が自然と浮かんできますね(笑)。では自分から前のめりな姿勢だったわけではなく?

逆にちょっと引いてました。この人元気だな~と(笑)。他のメンバーに対しても、初対面から今まで印象はほとんど変わらないですね。裏表のない人たちで。

ちょっと引いてたんですか(笑)。ともかく無事に入社が決まって。最初はどんな仕事をされていたんですか?

入社して1番初めの仕事は引っ越し作業です。ちょうど東町のオフィスから今の新橋に会社が移転する時だったので。

伊藤寛文

伊藤寛文

その後は撮影に同行することが多かったですね。結婚式だったり朝倉さやさんのMVだったり。自分が入社した頃、動画撮影の仕事が増え始めた時期だったみたいです。

伊藤寛文

最初の仕事がお引っ越し(笑)。そこから撮影や映像編集のノウハウを学んでいかれたと。仕事内容は事前に希望していたものだったんですか?

いえ、自分から何か希望したということはなかったですね。入社当時のオリーブは橋本さん、佐規子さん、徹さん(オリーブスタッフ)、僕の4人しかいない体制だったので、とにかく全員で現場いって全員で編集して、みたいな…今振り返れば変な時代でしたね(笑)。

リソースをフルで投入して(笑)。でも実践の繰り返しだと現場の肌感覚が早くから身に付きますよね。前職から転職して、不安な部分などなかったですか?

楽しかったので不安はなかったですね。ただ自分が映像業界に入って日が浅いという自覚は常にあって、責任感というかスキルを早く習得しないとという思いはありましたね。だから割と遅くまで仕事したり。今思えばかなり必死な時期だったと思います。すごいメモ取ったりして。

異業種からの転職という所で気の張りはあったかもしれませんね。では仕事内容としては今日まで一貫して現場での撮影、そして編集という作業がメインで行っているんですか?

そうですね。特に撮影は社内でもやっている方だと思います。ただ最近は全体のディレクションにも携わることもあって、実は自分はこっちの方が向いてるんじゃないか?と思うこともあったりします。

楽しいことをしたいっていうのが1番

伊藤寛文

ほほう!ちょっと詳しく聞きたいですね。ディレクションというと、どういう仕事内容になってくるんですか?

1つのプロジェクトに対して、全体を調整しながら現場に口を出す仕事というか。コンセプトにブレがないように、より良い物作りにするための方向づけを話し合いながら作品を作っていく仕事かなと思います。

なるほど。直接手を動かすわけではなく、プロジェクトの軸の部分を担って、意見を出し合いながら作品を導いていくということでしょうか。

そういうものだと思います。あとはそれぞれの人となりを見ながら、現場のいい持ち味を作品に落とし込めるかを考えたり。誰かに意見を言うにしても、人によって刺さる言い方って変わってくるじゃないですか。その人が気持ちよく仕事できるような言い方や持っていき方を考えたり。

ある種モチベーターのような観点も必要ということですね。

なのでディレクションのことは別にしても、最近は積極的に雑談するように心がけたりしています。先日もスタッフと雑談していて、とっちさん(オリーブスタッフ:菅原)がポロッと言ったアイデアを作品に採用したり。雑談から生まれるものは大きいと思っているので。

シンプルだけど大事なことですね。ディレクションについても、何か仕事をしながら自分の興味を発見していったのでしょうか?印象に残っている出来事があったりとか。

印象的なことというか、日々の仕事の中で思いますね。どこか撮影に行くにしても、自然と「前回のこの部分の映像良かったから冒頭はそのテイストでいきましょう。そうすると後半はこの部分の映像が足りないから…」みたいに全体の構成を意識しながら撮影するような考え方になってきてます。その上でわからないことは現場に聞けば教えてくれるし、トータルの映像を考えながら撮影するのが楽しいし向いてるな、ディレクションいいなと。

伊藤寛文

働きながら見えてきた部分なんですね。そもそも映像業界に入りたかったのは撮影や編集の仕事に対する憧れみたいなものではなかったんですか?

それはありましたね。…ただ自分は器用貧乏なタイプというか、一通りのことはそれなりに上手くできちゃうんだけどある程度まで行くとそこで頭打ちになってしまうことが良くあるんですね。突き詰められないというか。

ああ、なんでも80点は取れるけど…みたいなことですかね?そのタイプの人もいますよね。

逆にとっちさんや拓也さん(オリーブスタッフ)は職人気質というか、1つのことを突き詰められるタイプで。同じ土俵だと最終的には敵わないなと思ってしまうんです。今の仕事は違いますがそれで飽きたり、冷めちゃったりっていうことは今までの人生多々ありましたね。

確かに仕事観にしても今までの人生の選択の場面にしても、どこか自分を含めて客観視しているようなところは見受けられますね。

そうですかね。全体を俯瞰してバランスを取る、みたいなところは昔から得意というか、好きなことではあるかもしれないです。

専門時代の音響仕事の話にもつながる部分があるかもしれないですね。あとは映画いっぱい見るけどあまり人生に影響受けない、とか(笑)熱くなりすぎないというか。

なるほど(笑)。働き方で言うと、今のスタッフの中で、クライアントと打ち合わせして、撮影して、編集するという一連全てに関わってる人って実は僕くらいないんですよ。分業制で打ち合わせだけ、とか編集だけするスタッフとか。仕事のフロー全体に関わることで見えてきた部分もあると思います。

それこそ「鷹乃巣」時代からある意味では同じような。仕込みから接客から~、みたいな。

あ、確かに!(笑)幅広く知識を入れて面白いことをしたい、っていうのはずっと変わらないかもしれないです。

今後はディレクションに力を入れたい、というところは会社と相談したり、任せてもらえそうなところではあるんですか?

そうですね!橋本さんには少し相談もしていて、サンロク*1の年間ディレクションの打ち合わせを任せてもらったり、自分が中心のプロジェクトを少しずつ振っていただいたり。

いい流れですね!ディレクションをやる上でも、伊藤さんは現場目線の経験豊富だし、もし納期間に合わない!なんて事態でもなんなら自分で編集だってできてしまうという(笑)。最強じゃないですか!

楽しいことをしたいっていうのが個人として1番ですけどね。自分がノってる仕事の方がパフォーマンスがいい自覚もありますし。

自分のやりたいこと、目標を実現できる環境だということですよね。では、会社としてのオリーブにどんな思いを持っていますか?

そうですね…まず、働きやすい環境だと思ってます。話を聞いてくれますし。あとはいい意味で社員の距離感が近いですね。仕事とプライベートを分ける、みたいなことがあまりないんですが、そこに対して踏み込まれたという感覚はないんですよ。気持ちのいい人たちなので。だから結局はメンバーの人に尽きるというか。1番素が出せてる場所だなとも思いますし。

素を出せると気持ち的にもすごく楽ですね。

ですね。ある意味家にいるよりも素かもしれないです。奥さんが会社に来たら戸惑うと思いますよ。家とキャラ違うじゃん!めっちゃ喋るじゃん!って(笑)。

伊藤寛文

*1サンロク…酒田市産業振興まちづくりセンター サンロク。
人材育成や販路拡大など、ビジネスに関わる様々な支援を行う機関。ビジネスセミナーの開催のほか、コワーキングスペースも常設されている。

撮影協力店:COFFEE 山椒小路

INTERVIEWER

國本 琢也
1986年生まれ、神奈川県出身のMC、ラジオパーソナリティー。
早稲田大学法学部中退後、山形県に移住し米農家となる。

2014年、ヒルクライムバイクのイベント「Hill Climb TOHOKU」を皮切りに農業と並行してMC活動を開始。以降、バイクイベントだけでなく地域イベントでもMCを務める他、結婚式司会等も経験。コロナ禍においてオンラインイベントのMCでも好評を博す。
現在、酒田FMハーバーラジオにて自身初となる冠ラジオ番組「シャドウ國本のだいたい大丈夫」に出演中。FM山形の特番出演など露出を増やし、国内でも稀に見る「農家MC」として着々と活動のエリアを広げている。