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STAFF INTERVIEW!

酒田からロサンゼルスまで、現場を歩いて身につけた「視点」と「センス」。菅原寿久さんインタビュー

PROFILE

菅原 寿久

カメラマン/エディター

どんな仕事してる?
撮影
映像編集
カラーグレーディング
ひとこと
やっぱり猫が好き

INTERVIEWER

國本 琢也

(株)オリーブ10周年インタビュー、本日は菅原寿久さんの登場です。オリーブきってのセンスを持つと言われる通称「とっち」さんが聞かせてくれたのは、時にストリートから、時に仕事現場から培った「視点」のお話でした。

もしチャンスがあれば映像会社に入りたい

菅原さんは入社4年目ということで。

うん、確かそのくらいです。

くらい?(笑)。まずはオリーブ入社の経緯からお聞きしたいのですが、拓也さん(オリーブスタッフ:工藤拓也)を介してオリーブに入社したとお聞きしました。

そうですね。拓也くんとの出会いは、車屋さん主催のボウリング大会が酒田であって、そこに自分も拓也さんも参加したのが初対面です。確かくにもっちゃん(インタビュアー:國本)も居ましたよね?

ああ、居ました居ました!(笑)良くして頂いてる車屋さんで。楽しかったですね!初対面の拓也さんはどのような印象でしたか?

あの時拓也くんはとにかく周りの参加者に片っ端から声をかけてました(笑)。「映像やってるから何かあったら頼むの~!」みたいな感じで。そこで名刺をもらったんです。

菅原寿久

豪快ですね(笑)。そこから親交を深めていったんですか?

いえ、そこから拓也くんに連絡したのはその半年後くらいだったかな…前職の仕事を辞めて時間ができたタイミングで、元々映像を趣味でずっと作っていたので、もしチャンスがあれば映像会社に入りたいという気持ちでした。

これもひとつのご縁だったわけですね!拓也さんの名刺ばらまきが功を奏して(笑)。

でも正直無理だろうなとは思ってました。知り合ってすぐ連絡したならともかく、時間も空いてるから覚えてないだろうな…と思いながら名刺の番号に電話をかけて。

結構緊張しますね…!でもその一歩が今に繋がるわけですもんね。電話での拓也さんはどんな感じでした?

もうとにかく「まず会社来てみれ!」の一点張りで(笑)それで予定を合わせてオリーブに行こうとするんですが、当の拓也さんが撮影班なので外での仕事が大半で、会社に全然いないと分かって(笑)。

菅原寿久

雑!!(爆笑)来いといった張本人がなかなか会社にいない!

それでやっと予定が合って、オリーブ伺いました。その時の拓也さんは「おお!」と自然に相手してくれてたんですが、後で聞いた話では周りに「誰だっけ…?」って聞いてたらしいですよ(笑)。

ほんと雑!!(笑)拓也さん以外知るわけもないのに(笑)。

「業者の人?」みたいな(笑)。ともかくその日は挨拶だけ済ませて、その次の面談で自分が過去に作った映像を見てもらったり。その時に採用というか、うちに来て欲しいと言っていただきました。

実力で採用を掴み取ったんですね。別のスタッフからも、過去に作った作品がすごく良かったとお聞きしております。

ただその時、バイトを始めたタイミングで。そっちもすぐには辞められないので、入社は少し待ってくださいとお願いしました。「ええっ!?」って言わまれましたけど(笑)。

採用したらまさかのバイトで断られた!!(笑)

「ちゃんと動けよ!」みたいな目で(笑)

菅原寿久

というのも微妙に経緯があって、最初は社員ではなく外注スタッフでお願いするかも、という話も出てたんです。撮影の時だけヘルプで入るような。

なるほど!いきなり正社員スタートではないかも、と。

まずは社外からお手伝いするのかなと。それで結婚式の当日記録にサブで入るようになったんです。ちなみに初めて入った結婚式の現場が、ふみくん(オリーブスタッフ:伊藤寛文)の結婚式でした。

オリーブスタッフの結婚式が初仕事(笑)。いきなり縁が深いですね!

ふみくんは心配だったのか、新郎なのに自分の動きを逐一見ていて(笑)。「ちゃんと動けよ!」みたいな目で(笑)

菅原寿久

(笑)!たまたまとは言え、すごいタイミングですね!ご自身でも、最初は外注の立場でも構わないという気持ちだったんですか?

そうですね。そんな流れで、龍神月山*1の撮影スタッフで呼ばれて手伝いに行って。その時に橋本さん(代表取締役)から、「やっぱ社員になっちゃう?」って言われて(笑)

軽!(笑)拓也さんとの出会いから何から、一筋縄ではいかない入社経緯ですね(笑)。それでオリーブの社員として働き始めたと。少し話を戻しますが、入社前に個人的に作っていたのはどんな映像だったんですか?

スケボーをずっとやっていたので、仲間内のスケボーの映像を作ってました。スケボーって、自分たちがスケボーする姿を撮影するのが当たり前っていう文化があるんですよ。

菅原寿久

スケボーやってらしたんですね!撮影するのが当たり前、というのは?

自分たちのチームというか、地元の仲間たちを1人1人撮影してビデオ作品にするんです。当時だとVHSでソフト化したり。先輩たちがスケボー映像の上映会イベントをやっていたので、そこで流したりして。だから映像とか写真がすごく身近にあるカルチャーなんですよ。

は~!全然知らない世界でした。スケボーはいつからやりだしたんですか?

確か中2の頃からですね。当時の雑誌の企画で、ジャニーズの誰かがスケボーを教わるみたいな記事を見て、なんか楽しそうだなと思って。そしたら周りでスケボーを持ってる友達がいたりして始めていきました。トリックというか、この技やってみたい!という気持ちで。

入りはジャニーズだったんですか!(笑)意外ですね。

バックトゥザフューチャーがきっかけ、とか言えればカッコいいんですけど(笑)。それでずっとスケボーの撮影をしてました。はじめは普通のハンディカメラで撮っていたんですが、途中からSONYのDCR-VX2000とかちょっといいものを使うようになって。その後一眼レフの映像が流行った時期があって、キヤノンのEOS 60Dを買ったり。カメラは何台か使いましたね。

スケボーにのめり込んでいたんですね。機材の移り変わりと共に、映像の楽しさにも目覚めていったとか?

そうそう!作っていく中で、段々と映像のクオリティを求めるようになって。海外のスケボー映像がとにかくカッコよくて、近づけるために機材を調べたりして(笑)。VX-2000なんかは当時スケボー界でよく使われてるということが分かったり。

菅原寿久

なかなかスケボーの映像見て撮影機材の方に目はいかないですよね(笑)。

スケボーのプレーヤーはもちろんとして、映像の作り手も気になってクレジットを熟読したり(笑)。そうやって考えると、いつの間にかカメラも好きになってたんだなあと思います。

そうすると、ご自身でもスケボーしながら、常に撮影のことを意識しだしたり。

ありますね。自然とこの画角で…とか、この場所ならここから撮影したら綺麗に撮れるな、とかの視点ができるようになりました。撮影から編集まで自分で行っていたので。

カメラマンの視点が生まれて。当時の編集環境はどのようなものでしたか?

親がMacを持っていて、iMovieで編集してました。懐かしのスケルトンボディのiMacでしたね。

菅原寿久

おお、初代iMacですか!その当時、個人でMacで映像編集というのは珍しかったのでは?

珍しかったと思います。当時周りに「Macで編集してます」って言うと「え、マジ?ヤベェ!!」ってなってましたね(笑)。

何してんだ自分!と思いました(笑)

菅原寿久

(笑)。それまでの経験があれば、オリーブに入社しても即戦力というか、戸惑いはなく仕事ができた感じでしょうか?

いえ、逆に入社後は全然できない自分を感じる日々でしたね。自己流でスケボーの映像ばかり撮っていたのもあって、偏った視点しか知らなかった。そこそこ撮れる自信があっただけに、ショックでしたね。もう見てられないくらい(笑)

そういうものですか…!具体的にどういうところで違いを感じましたか?

1番は自分の撮影の安定感のなさという。、動くものを撮る時でもプロは動きを撮り終わっても何秒か止めて、編集点や余白を作るんです。動きがある所をぶつ切りで追うのではなく、前後に溜めというか、余白の部分がないと後々編集してもせわしない映像にしかならないと気づいたり。何してんだ自分!と思いました(笑)。

でもそこはある意味、今までの経験があったからこそすぐに気づけたわけですよね。編集の段階でもそういった気づきはありましたか?

ありますね。自分の場合どうしても全体の尺が長くなりがちというか、カット数が多くなってしまう所があって、情報が多くなってしまう。映像で何か伝える為に、最低限このカットがあれば伝わる、というのは分かってるんですが、このカットもいい映像だよな~!と、つい情報を入れすぎてしまう(笑)。

わかる気はします!本筋には絡まないけどいい映像があったり(笑)。やってきた中で、印象に残っている仕事はありますか?

E-bikeという、電動アシスト付き自動車をレンタルして庄内を周遊するツアーのプロモーション映像の仕事があって、ロケハンや構成含めて撮影·編集までメインで任せてもらったので印象に残っています。ロケハンもかなり時間をかけて庄内一円を回って、この場所でこう撮る、と段取りしたり。

Rail&E-Bike SAKURA-Tour

トータルのメイン担当だったんですね!それは力が入りますね。

内容やストーリー構成はまだ苦手意識があって、佐規子さんに手伝ってもらったりしながら。ロケハンする時も、先に内容決めないと意味ないんだと気づいたり(笑)

自分はこの仕事をやるために生まれてきたんじゃないか

菅原寿久

(笑)。それは完成した時の感慨もひとしおですね。作品作りの点で、意識して何かインプットしたり普段から見ているものはありますか?趣味というか。

作品のために意識することはないですが、結構多趣味かもしれないです。楽器は一通りやったし、釣りもしたり…あと絵はずっと描いてますね。グラフィティアートのような、好きな文字や形を変形させて、グラデーションつけて描く。スケボーの板とかキャップによく描いてましたね。

菅原寿久

菅原寿久

アーティスト肌ですね~!そこでセンス磨かれたのはありそうですね。社内でもセンスがいいという評判は聞きますが、その辺りにルーツが。

やめてください(笑)。でも自分の中のぼんやりしたイメージを少しずつ現実に形作る、というのは編集にも似た作業かもしれないですね。手を動かすのは好きです。編み物もできますよ(笑)。

編み物!?(笑)。そういった色んなジャンルを吸収して今に至っていると。

どのジャンルでも自分の好きな要素だけ吸収するので、同じ趣味でも人と話が合わないことはありますけどね。共通のジャンルが好きでも、「これいいよね!」って言われてもよく分からなくて変な空気になっちゃったり(笑)。

菅原寿久

そういうことありますね(笑)。電車好きの中にも乗ることが好きだったり、写真撮るとか時刻表眺めるのが好きだったり人それぞれみたいな。

ちょっと前に、テレビで甲本ヒロト*2が「人によって見る目が違ったり表現の仕方が違うのは、人によってピントの合う位置が違うからだ」というような話をしていて。なんというかその…なんでこの話したんだろ自分(笑)。

(笑)!いや分かりますよ!同じものを見ていても、人によって見えてるもの、受け取り方が違うみたいな話ですよね?

そうそう!同じものでも近くのものが見えたり、遠くにピントが合う人がいたり。それってすごく大事だなと思って、その話を聞いてからは撮影の時でも自分の撮りたい角度とは別に、少しずらして違う視点でも見るように意識したりするようにしています。

なるほど。趣味にしても、物事を見る別の視点を獲得することだったりしますよね。

そういえば21歳くらいの頃、ロサンゼルスに1ヶ月ほど行ったことがあるんですけど。ずーっとスケボーばっかりしてたんですが(笑)、現地の暮らしとか、英語喋れないなりに話せばそこでコミュニケーションが成立したり。そこでの経験で得たものも大きいですね。

菅原寿久

アメリカ行ってたんですか!それは価値観に影響ありそうですね。

その感覚というか、刺激はずっと残ってますね。本物のギャングが普通に街にいたりとか(笑)。映画みたいでしたね。

それこそ、その時の視点は確実に根付いてますよね。そういった経験の中で仕事的な憧れというか、今まで1番影響受けた人やものってありますか?

この人いなければ今の自分はいない、っていう意味では冨樫淳さん*3です。元々知り合いだったんですが、個人でやっていた頃からカメラの使い方や選び方を毎回相談していて。ただ綺麗に撮るだけじゃなく、なぜ綺麗に撮れるか?というところまで深く教えてもらえて、理解度を深めることができたんです。

身近にそういう方がいるのは大きいですね!

そうですね。カメラをより好きになるためのきっかけをくれた人です。今でも一緒に撮影したりします。写真については興味が尽きなくて、ずっと続けていけそうな感覚がありますね。

素晴らしい!休日でも自分で写真を撮ったりされるんですよね?

写真に関しては、残すことで感覚が変わるのが面白いというか…その時は何も思わなくても、後々見返すといい写真!と思えることが面白いですね。始めたての頃の写真を見ても、めっちゃいいの撮ってるじゃん!とか(笑)

菅原寿久

(笑)。それが仕事にも還元されるし、会社的にもいいことづくめですね。頼もしい。

写真を知ることで、映像の分野でも構図やライティング、色味の調整で活きてくる部分も多いです。…この間ふと、「自分はこの仕事をやるために生まれてきたんじゃないか?」とマジで思ったりして(笑)。具体的な何かがあったわけではないんですが、本当にふと。基本的に楽しんでやっているので、こんなに楽しくできる仕事はないと思っています。

すごい境地までいきましたね!(笑)では今後の仕事の目標や、会社的にこうなればいいなと思うことはありますか?

常に新しさや技術を進化させたいなとは思ってます。まだ苦手な構成の部分も強くなりたいし、現状で止まらないように、「自分はこうだから」と凝り固まらないようにと意識しています。

大事なプロ意識ですね!柔軟に進化していこうと。

相手ありきの仕事なので難しいこともありますけどね。「え、ここ変更しちゃうの!?」とか(笑)。めっちゃ気に入ってるのに…と思うこともあったり(笑)。それでも、そう言われないものを作れればいいと励みになりますし。お客様に喜んでもらえると、すげーアガる。

すげーアガる(笑)。

(笑)。だから変な話、オリーブでは仕事してるっていう感覚だけじゃないというか。もちろん仕事なんだけど、好きなことをやっているので苦ではない。オリーブの社員のみんなとの関わりも含めて、仕事だけどどこか遊び場のような、楽しさを常に感じれる場所だなと思っています。

菅原寿久

*1龍神月山…庄内町で開催されるオフロードバイクイベント。川の上を走る全国的にも珍しいコースで人気を博す。現在はコロナ禍の影響で昨年から開催休止中。

*2 甲本ヒロト…ロックミュージシャン、ボーカリスト。THE BLUEHEARTS、 ↑HIGH-LOWS↓などのバンドを経て、現在もザ·クロマニヨンズ等で精力的に活動中。

INTERVIEWER

國本 琢也
1986年生まれ、神奈川県出身のMC、ラジオパーソナリティー。
早稲田大学法学部中退後、山形県に移住し米農家となる。

2014年、ヒルクライムバイクのイベント「Hill Climb TOHOKU」を皮切りに農業と並行してMC活動を開始。以降、バイクイベントだけでなく地域イベントでもMCを務める他、結婚式司会等も経験。コロナ禍においてオンラインイベントのMCでも好評を博す。
現在、酒田FMハーバーラジオにて自身初となる冠ラジオ番組「シャドウ國本のだいたい大丈夫」に出演中。FM山形の特番出演など露出を増やし、国内でも稀に見る「農家MC」として着々と活動のエリアを広げている。