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STAFF INTERVIEW!

無自覚型巻き込み人間が目論む、無計画という名の壮大な計画。工藤拓也さんインタビュー

PROFILE

工藤 拓也

カメラマン

どんな仕事してる?
毎日東北全域を廻り写真撮影
カラーグレーディング
ひとこと
ダイタイダイジョウブ

INTERVIEWER

國本 琢也

(株)オリーブ10 周年インタビュー、本日は工藤拓也さんの登場です。オリーブ創業に、社員の引き寄せに無自覚ながら重要な決定に携わる巻き込み技は唯一無二!随所に見られる天然ぶりもご注目ください。
【インタビュー】

大会で県5位くらいにはなってたと思います。たぶん。

まずは拓也さんのプロフィールから教えてください。ご出身は?

今はなき飽海郡松山町出身です。合併して酒田市。学生時代はずっと松山にいたんですけど、今では母校の小・中・高が全部廃校になっちゃって。だから学歴は幼稚園卒!(笑)

あはは。少年時代はどんなお子さんでしたか?

自然が近いので外遊びが中心でしたね。あとはスキーの指導員だった親父の影響、というか強制で(笑)、5歳ごろからスキーをしてました。週3~4で、放課後に松山スキー場のナイターで親父にしごかれて。

工藤 拓也

かなり本格的にやってたんですね!成績は良かったんですか?

最終的にはたぶん、大会で県5位くらいにはなってたと思います。たぶん。

それは凄い!友達と遊ぶ時間もないような…。

いや、なんやかんや遊びましたよ。でも近くに同い年の子供がいなくて、遊ぶときは2~3歳上だったり下だったりする近所の子たちと遊んでました。そんなに上下を意識することもなく、みんなでワイワイ。

小さい頃から大人数で遊ぶのがお好きだったんですね。

でも一人遊びもしましたよ。小学校の頃、木の棒を小刀で削り出して剣を作ったり。何か作って遊ぶのは好きでした。

木の棒で剣を!?(笑)

いや、高学年の時ですよ?

(そういう問題?)ははあ、なるほど。器用だったんですね。

あとはバイクも大きいですね。高校の時、マウンテンバイクでダウンヒルやっていたんですか、段々登りがキツくなって(笑)。ダメもとでバイク屋のおやじに聞いてみたら、近所のサーキット場に壊れたバイクが3台くらいあるから、合わせて1台分に整備するなら持ってけ、ということになり。

工藤 拓也

おお!故障バイク3台から自分で組み上げたんですか!

3台とも全部バラすところからやりました。当時は時間も体力もあったので。もちろん友達とか父親などに手伝ってもらったりしながらなんとか完成して、そこからオフロードバイクはずっと続いています。

なるほど。運動神経と機械と、両方強化されますね。高校はひたすたバイク三昧で?

いや、そういうわけでもなくて、部活もしてましたよ。野球部とバスケ部と写真部を兼部してました。

え、写真部!?実はカメラマンの仕事に繋がる部分がこんな所に!

高3でスノボを始めたんですけど、スノボで飛んでる姿を写真に収めたくて。飛んだ証拠にもなるし(笑)。そこまで本格的にカメラに凝ったわけではないですが。

学生時代からカメラに触れる機会を作っていたんですね。どんなカメラを使っていたんですか?

機種は忘れましたがフィルムの一眼レフを譲ってもらえて、それを使ってました。写真部も元々学校には無かったので自分たちで作って。自分と女子3人で、メンバーは確か……すみません、忘れてしまったんですけども。

いえ、部員の方の詳細は大丈夫です(笑)。ともかく周りを巻き込んで部活を作ったんですね。そこで写真の楽しさを知ったと?

確かに多少はあるかもしれないです。撮った写真を人に見せて、喜ばれたり驚かれたりするのは楽しいなと思ってました。やっぱり人に見てもらってナンボのものなので。

まあなんとかなるだろうと。

工藤 拓也

高校時代にカメラマンの芽が出ていたとは知りませんでした。高校卒業後、オリーブ入社まではどのような暮らしでしたか?

高校卒業後、すぐに東京に出て働きはじめました。やっぱり1度は東京行っときたいだろ!と思って、求人雑誌を適当に開いて、適当に指をさしたところに決めて面接受けたら受かって、そこに就職しました。

就活が雑すぎません!?(笑)

ともかく東京に行ってみたい、が1番だったので…。建築系の会社で、建物に鉄筋を入れる仕事でした。その時は鉄筋ってなに?と思いましたが、まあなんとかなるだろうと。東京の小岩に引っ越して仕事を始めました。

破天荒というか、無計画というか(笑)。実際働いてみて如何でした?

キツかったです!(笑)。親方も怖かったし、体力仕事だし。結局そこは1年ほどで辞めて、今度は埼玉の東川口で別の建築関係の仕事をしました。そこも1年ほどで辞めて、結局20歳頃に地元に帰ってきたんです。

2年ほどの上京生活だったと。正直、東京はあまり合わなかった印象でしたか?

う~ん、そうですね。例えばバイクの趣味にしても、都心でやろうとするとコストが跳ね上がるんですよ。サーキットは遠いし、車やバイクを置いておくだけで駐車場のお金も発生する。仲間もいないし、これは大変だなと。

確かに!この辺りなら駐車スペースは多いし、サーキット場も近いですもんね。

都会は何でもあるしきらびやかではあるんですが、自分はお買い物が趣味でもないし。元々ずっと住むつもりでもなかったので、東京を体験できたからもういいかなと。

でも感性が若いうちに都心に出るのは結構大事だと思います。ともかく地元に帰って、どのような暮らしでしたか?

戻ってきて最初の1年くらいは祖父の板金屋の仕事を手伝って、鬼瓦を作ってました。しばらくゆっくりしたかったので無理に働かずにお小遣い程度をもらって。

工藤 拓也

鬼瓦ですか。では存分にバイクなどもやりつつ。

ですね!その後ダクト屋さんに7年くらい勤めて、砂利系の建材業者に勤めたのがオリーブ入社前までの仕事経歴です。佐規子(取締役)と結婚もその時期にして。

ご結婚されたということは、そのあたりからオリーブ余目時代(工藤佐規子さんインタビュー参照)にも入ってくると?橋本さん(代表取締役)と出会って。

そうですそうです。結婚式の映像を作れる人を探していて、地元の友達から橋本(代表取締役)を紹介してもらって。地元の友達っていうのは春菜ちゃん(オリーブスタッフ)の旦那さん。

後のオリーブメンバーが絡みだす!(笑)橋本さんの第一印象は如何でしたか?作った映像の感想もぜひ。

話しやすいし、親しみやすい人だなと思いました。映像はセンスを感じたし、こちらの要望をすごく取り入れてもらった覚えがあるのでありがたかったですね。

その後しばらくして、橋本さんから仕事を手伝って欲しいと依頼が来たと。

あの時は確か…橋本が家に直接来て。映像が忙しくなってきたので独立したくて、自分たちに手伝って欲しいという話で。なんでうちらに?と思いましたけど(笑)。

工藤 拓也

拓也さんご夫婦も仕事はされていたし、映像やPCに慣れていたわけでもないし。

でも、橋本の映像の良さは知っていたし、自分たちの知らない業界に入ることで何か楽しいことがあるかもという気持ちはありました。それでやってみようということになり、物置だった部屋を橋本の仕事部屋に使ってもらって。

そこですよ!新婚間もないご家庭の部屋を人に解放するというは、なかなか思い切ったというか…いいのかなという感じもするんですが。

う~ん、あまり深くは考えてなかったんですが(笑)、まあでも夫婦の生活スペースは別の部屋だしいいんじゃないかな?と。手伝うにしても、自分の家で仕事してくれれば手伝いやすいじゃないですか。わざわざ出向く必要がないし。

な、なるほど…?分かるような分からないような。いや、分からないです(笑)。

橋本が来る以前から家に入り浸る友達もいたし、自分の家で人がリラックスしてるのを見るのは結構好きなんですよね。

工藤 拓也

そう、ですか…。…ひょっとして、「自分の家に家族以外の人が常にいるのは抵抗がある」という感覚がそもそもよく分からないですか?

…そうかも!

(爆笑)!なるほど!!それは懐が広いというか、人の悩みに全力寄り添えるというか。凄いですね。

もちろん誰でも部屋を使っていいよ!という感覚ではないですよ!(笑)。人によります。あと前提で生活スペースとして貸すわけでもないし、あくまで自分の家にオフィス部屋があるというイメージだったから出来た、というのはあると思います。

そこは確かに、なるほど。誰か住まわせるのとは全く違いますもんね。

ですよね!その後橋本が忙しくなって朝まで作業したり、3日くらい帰れずに作業することもありましたが、そこはある意味想定していなかった所でもある(笑)。それもある意味楽しかったので構わなかったですけど。大変な仕事ぶりも見ていたし。

工藤 拓也

真夜中までみんなで作業や話し込むのが楽しくもあったり。

楽しかったですね。あの頃は夫婦もお手伝いだったので今ほど仕事として意識してなかったので、遊び半分ではないんですが。友達付き合いの感覚も強くて、リラックスできる環境でした。

なんせ自分の家ですもんね(笑)。

ああ、そうか!(笑)。とにかくそんな形で最初のオリーブがスタートしました。

最初はお手伝いのスタンスで、仕事の内容はどのようなものでしたか?

その頃は別の仕事がメインだったので、仕事終わりにできることを手伝う、という感じで。カメラはちょっとやってみようかなと思っていたので、立ち上げ当初から少しずつ勉強してました。

なるほど。家の部屋を貸していた頃からどんどん会社も大きくなって事業も拡大してきたわけですが、立ち上げ当初から見ている中でこの変化に対する思いはありますか?

やっぱり3人で立ち上げた所帯から考えると、会社としてしっかりしないといけない部分やルールで固めないといけない所も出できて、そこに対する淋しさは少し感じました。反面、会社が大きくなっていく楽しさも感じられたので良かったと思ってます。会社の運営について、自分の意見も尊重してもらった所もありますし。

なるほど。それは、会社の運営についてどう考えていたと?

ある意味、楽をしていきたいというか。人も増やして仕事も増やして効率的に利益を上げられれば、楽しいことやお金に縛られない遊びの部分を考える余裕が生まれるんじゃないかと。その当時、自社イベントを行ったりして凄く楽しかったし、そういった会社の遊び心を無くさずに成長していきたいなと思っています。

工藤 拓也

今もオリーブさんは遊び心のある年賀状や、今回の10周年企画にしても面白いことをやっていこう、という風潮は息づいてますよね。素敵な考えだと思います。

ただまあ、10周年企画で言うと「トライレンジャー」*1の全身タイツは恥ずかしいですけどね!(笑)ともかくガチガチの会社になってほしくないなと。

そんな思いもありつつ、お仕事を転職して、正式にオリーブに入られたのは実は割と最近とお聞きしましたが。

正確には覚えてないんですが、今の新橋にオフィスが移って少し経った頃です。なので正式な入社歴は、ふみくん(オリーブスタッフ:伊藤寛文)より後輩になります!(笑)

謎のねじれ社歴になるわけですね(笑)。メインの仕事内容はカメラマンということで。

カメラマンです。写真がメインでやっています。他にも事業の企画段階に参加して意見を言ったり。ハニカミ*2の立ち上げについては、自分の体験に基づいて話したりもして、みんなで形を作っていきました。

仕事もオリーブ専属でやっていく中で、実質的な社内キャリアは最年長クラスかと思いますが、会社の中で自分の立ち位置を考えたりします?こういう立場だし、というか。

…あまり考えないです。特に上下関係みたいな感覚はほとんどない。役職や社歴も関係なく、全員をフラットに見てる感じというか。

なるほど!そのポジションは立ち上げから会社と関わってないと出来ないですよね。そこに拓也さんの人の見方も加わって。

工藤 拓也

だから敢えて立ち位置を考えると、後輩からは話しかけやすく、上の立場にものを言いやすい立場でいたいなとは思ってます。やっぱり入社して間もないメンバーが上に何でも言えるかというと、流石にそれは難しいと思うので。

会社の風通しの良さの象徴みたいな所ですね。社内でも常田さん(オリーブスタッフ)、菅原さん(オリーブスタッフ)は拓也さんがきっかけで入社してきたり(各インタビューをご参照ください)、そもそも余目で部屋を貸すという離れ業をやってのけたり、拓也さんの持っている「周りを巻き込む力」みたいなものって、なんなんですかね?

巻き込む力…。自覚がないので分からないです(笑)。

自覚ないんですか!?(笑)。でも人事にしろ雰囲気にしろ、拓也さんがオリーブに関わったことで今の形になったところは多分にあると思うんですよ。例えば、こういう人には声を掛ける、みたいな基準ってあるんですか?

ないです。

(笑)!では橋本さんや常田さんや菅原さんにしても、直感で関わったり声をかけたり。

う~ん…この人面白そう、とかは考えますかね。言われてみれば確かに寂しがりというか、何するにしても1人でやりたくない気持ちはあります。だからその都度で誰か呼んで遊んだり、何か手伝ってもらったり。そういうことかな?(笑)

なるほど(笑)。無邪気というか、天然でどんどん人を巻き込むからこそ為せる技でもあるんですかね。

例えば土木会社になってもいいと思うし。

工藤 拓也

カメラマンという仕事について、こだわりや楽しいと思うところはありますか?

自分が狙った表現が出来た時は嬉しいですね。もちろん理想の100%は出せないんですが、近づいた時は嬉しいし、もっと近づけるように頑張ろうと思えます。そしてそれを人に見てもらいたくて見せまくる(笑)。

(笑)。拓也さんはドローン撮影もメインでされていますよね。

やってます。ドローンの空撮については、YTS山形テレビさんの「やまがた百景」に使われている空撮の映像はほぼ自分が撮ったものです。ここ5,6年はずっとそうかな?

工藤 拓也
工藤 拓也

おお、そうなんですか!実力で指名され続けるのは凄いですね。

そこはやっぱり力も入りますね。でも写真もドローンも、やっぱり自分の理想100%はまだまだ届かない。でもだからこそ理想を求めて続けられるというのはあると思います。

その姿勢が作品のクオリティを支え続けているんですね。会社の変化も多々見てこられたと思いますが、今後も含めた会社への思いを聞かせてください。

もちろん利益をしっかり確保することも重要だけど、遊び心のあるオリーブであり続けて欲しいなと思います。儲かってないようで儲かっている会社というか(笑)。ふざける意味じゃなくて、仕事で遊ぶ感覚。…仕事で遊ぶ感覚。そこはずっとあって欲しい。

(なんで2回言ったんだ?)変わらないところは持ち続けて欲しいと。

あ、でも業種は変わってもいいと思います!映像にこだわらなくても、例えば土木会社になってもいいと思うし。

工藤 拓也

(笑)!土木会社オリーブ!?

それもある意味遊びというか、柔軟に変わり続けられるのが強みだと思うんです。常に新しいことを「やってみよう!」と考えられるメンバーだから、全く違う部署でも最低限の利益の見通しと、熱意のあるメンバーがあれば、多分許可が出て実現しちゃう。そのチャレンジ精神と自由さがオリーブの魅力かなと思います。

おお…!ちゃんと深い話でしたね!(笑)

でしょ?(笑)

工藤 拓也

*1闘球戦隊トライレンジャー…オリーブ10周年記念イベントコンテンツのひとつ。ラグビー経験のある常田さんが主演で、ラグビーのルールが楽しく学べる。トライレッドの奮闘は必見!
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*2ハニカミムービー…低価格で高品質な結婚式映像が作れる、(株)オリーブオリジナルECサイト。いち早くLINEでの打ち合わせを導入する等、手軽で分かりやすい顧客ファースト視点が好評の人気サービス。
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INTERVIEWER

國本 琢也
1986年生まれ、神奈川県出身のMC、ラジオパーソナリティー。
早稲田大学法学部中退後、山形県に移住し米農家となる。

2014年、ヒルクライムバイクのイベント「Hill Climb TOHOKU」を皮切りに農業と並行してMC活動を開始。以降、バイクイベントだけでなく地域イベントでもMCを務める他、結婚式司会等も経験。コロナ禍においてオンラインイベントのMCでも好評を博す。
現在、酒田FMハーバーラジオにて自身初となる冠ラジオ番組「シャドウ國本のだいたい大丈夫」に出演中。FM山形の特番出演など露出を増やし、国内でも稀に見る「農家MC」として着々と活動のエリアを広げている。